2011年2月5日土曜日

榎本の予言

 
 「蝦夷地質学」で,榎本武揚が「石狩炭田」の存在を予言していたと書きました.
 その記述を引用しておきます.

一、此地ノ石炭山ハ思フニ当(マサ)ニ 「イクシベツ」石炭山ト脉絡相貫通スルナルベシ。但シ「ホルムヰ」河口ヨリ空知河口迄舟行十六里余及ブト雖ドモ、両石炭山ノ距離ハ直路恐ラクハ五六里ニ過ギザル可シ。然レドモ此件ハ「ウアツソン」氏、荒井氏等ノ石狩河地図ト予ガ自ラ測定セシ図ノ成サレシ後ナラデハ確保シ難シ

 この文章は,加茂義一氏が「榎本武揚」(1960刊)の中に再録したもので,原本は松本十郎・開拓使大判官が榎本から貰いうけ,当時は松本十郎の孫に当たる松本友という人物の個人所有物だったそうです.
 現在どうなっているのかは不明ですが,いわゆる「お宝」なので,現物を確認することは不可能でしょう.

 なお,加茂氏は「開拓使あての報告書」であるとも書いていますが,開拓使あての公文書が個人所有物というのも変な話ですね.ま,これは「写し」であって「原本」は開拓使で保存されていたのかもしれません.そうだとすると,原本は道立文書館あたりにあってもよさそうですが,そうだったら,加茂氏がすでに発見してても,よさそうですね.
 よくわかりません.
 現在,道立文書館のHPでは,所蔵資料の検索ができるようになっているようなんですが,インタフェイスが「?」で,検索方法がよくわかりません(もしかしたら「Windows-MSIE」にしか対応してないのかも.表示が変ですから).
 ま,結果が出てきたとしても,どの資料もネット上で公開されているわけではないので,意味がないですけどね.なんのためのHP&検索窓なんでしょうかね?


 原形が不明ですが,加茂氏の記述を解析すると,どうも表紙は以下のようになっているらしいです.

 明治六年十月七日
 イクシベツ石炭調査
           榎本武揚


 しかし,次の行には「石狩河枝流「イクシベツ」石炭山及「ソラチ」河石炭山略記」とあります.こちらのほうが記録の内容を正確にあらわしていますね.
 上記文章は,付録の「ソラチ」河石炭山のほうにある記述です.つまり,空知川で発見された石炭脈が,はるか南方の「イクシベツ」=「幾春別」の炭脈までつながっているだろうと断言したわけです.これは,「石狩炭田」が存在することの予言でもありますし,この石炭を求めて,たくさんの人や資本が入りこんでくるであろうことの予言でもあります.
 そして,そうなりました.


 ところで,もし,この報告者が道立文書館の所蔵物だったら,どのようにデータ化されているんでしょうね.これが綴じられている,「開拓使公文書・第何巻」とかだけだったら,どんなふうにに検索をかけても,結果は出てこないでしょうね.そういうことかも.

 たくさんある「壁」のひとつです.(^^;
 

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