2011年1月14日金曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt.10 補遺「オソツナイ炭山」pt.2

 
 「開拓使事業報告」がありました.
 国会図書館・近代デジタルライブラリーで公開されています.
 以前にさがしたときは,みつからなかったのに,なんででしょうね.

 なにはともあれ,「オソツナイ」にかんする記録をさがしてみると,第三編の718頁にあります.そこには,以下のように表記されています.

「安政三年幕府始テ釧路字獺津内(オソツナイ)煤炭ヲ掘採シ幾モナクシテ止ム」

 と,あります.
 児玉清臣氏の記述とおなじですね.「カタカナ」が「ひらがな」に替わってはいますが.ということは,児玉氏は「開拓使事業報告」を直接みて引用したということになりますね.

 一方,多羅尾忠郎の「北海道鉱山略記」は若干の編集がはいっているようです.ということは,記述をよくみれば,「開拓使事業報告」を直接みて引用したのか,「多羅尾忠郎」経由で引用したのか,ルートがわかりそうです.

 ちゃんと比較していないのでなんですが,多羅尾の記述は,「開拓使事業報告」がネタ本ですね.比較してみるとおもしろいかもしれない.
 「開拓使事業報告」では「札幌本庁」-「函館支庁」-「根室支庁」-「樺太支庁」にわけて記述しているのにたいし,多羅尾は北海道全体を「沿革」-「硫黄」-「石炭」-「石油」-「金銀銅鉛」-「砂金」-「砂鉄」-「統計」とわけなおしています.
 「開拓使事業報告」がお役所向けなのにたいし(いわゆる「縦割り」ですね),多羅尾忠郎の「北海道鉱山略記」は技術者向きといったちがいがありそうです.

 「北海道鉱山略記」をみて,思ったのですが,全体の構成から見ると「硫黄」が現代の感覚からは比較にならないほど重要な産業だったようです.そういえば,「マッチ」の材料としての「硫黄」は当時の日本の重要な輸出品だったとか,聞いたことがありますね.

 江戸時代以前の石見銀山の銀の輸出といい,明治期の硫黄の輸出といい,日本が鉱物資源の輸出国だったとは….現代の感覚からは信じられませんけどねェ.

 あ.肝心の「オソツナイ炭山」ですけど,コンだけの記述では,「北海道最初の炭鉱」の冠をかけるのは…,やはりキツイですよね.幕府側の記述が発見されて,詳細がわからないとね.
 

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