2010年8月13日金曜日

「黒鉱」

 
 鉱床学は地質学の滅亡とほぼ同時に滅びた学問のようです(滅亡の原因は多少異なるようですけどね).だから,現在では鉱床学関連の書籍をさがすのは容易ではないです.
 さらには,日本の鉱床学あるいは鉱山の歴史を概観した本というのは,もはや入手不可能なようです.

 「鉱床成因論」などは,大学において「鉱床学」が普通に研究されていたころは,パラダイムは「地向斜造山論」でした.成因論は「造山運動論」に密接に関係していたと思います.
 しかし,PT論でしかものを考えてはいけない現在では,どのような解釈がおこなわれているのか.これは,以前から気になっていたことです.

 やっと,それらしき本がみつかりましたので,紹介しておきます.
 それは,石川洋平(1991)「黒鉱」(共立出版株式会社)です.その第7章「黒鉱研究の将来」の7-3に「黒鉱とプレートテクトニクス」という節がとってあります.あとでゆっくり読むつもりです.
 ただ,入手してから気付いたのですが,「PT論による黒鉱成因論」と「地向斜造山論による黒鉱成因論」どちらがよりリーズナブルなのかということは,わたしには,判断能力がありませんでした(困ったもんだ (^^;).
 なにせ,「鉱床学」はむずかしい.ま,努力してみるつもりですけれどね.

    

 ところで,興味深いことに気付いたので,特記しておきます.
 それは,この本は「地学ワンポイント」シリーズの一冊で,このシリーズの編集者は,「藤田至則・南雲昭三郎・森本雅樹」の三人です.後二者の方は存じ上げませんが,「藤田至則」氏は「グリンタフ造山運動」の提唱者として有名であり,藤田氏は「グリンタフ造山運動」は「PT論」では説明できないとしていました.

 しかし,石川氏は著書「黒鉱」の「はじめに」で,藤田氏へ「原稿を読んでいただいた」として謝辞を述べています.もちろん,藤田氏は人格者なので,PT論による各種解釈の出版を邪魔するような人でないことは,多くの人の知るところでした.
 そういえば,わたしの北大地鉱教室の先輩であり,尊敬する卯田強さん(新潟大学)も「さまよえる大陸と海の系譜=これからの地球観」を訳されたときの「訳者あとがき」で,つぎのように記しています.

「本書の翻訳は,新潟大学積雪地域災害研究センターの藤田至則教授から紹介された.本書の内容が自らの地球観とは相反する内容であるにもかかわらず,翻訳を勧められたばかりか,原稿を読んでさまざまな指摘から細かな語句の訂正までしていただいた.藤田先生の熱心さと寛大さにあらためて敬服するとともに,御厚意に心から感謝を申しあげたい.」

   


 ちなみに,卯田さんは(当時,大学院生でした),一般的には“地団研の牙城”とよばれた北大地鉱教室にいながら,PT論による地質現象解釈をおこなっておられましたが,同時に地団研の会員でもあり…,というよりは,当時,私ら学生にとっては,ほとんど指導者的な立場におられました.
 わたしが学部移行した年の,春の自主巡検に全行程でつきあっていただき,非常に熱心に指導していただきました.その後も,ことあるごとに,卯田さんのはたした影響は大きいものだったと,いま,想い出します.
 当初は,あまりにも“うるさい”(失礼(^^;)ので,若干苦手な先輩でしたが,ただひたすらに「熱い心を持った人」なのだと気付いたときに,大好きな先輩の一人になりました.

 話がずれました.元に戻します.
 現在,「地団研=悪の帝国.PT論者=虐げられた正義の人たち」,みたいな単純な図式が大手を振ってまかり通ってますが,このたった二つの「謝辞」からも,そんな単純なものではないことがわかるかと思います.
 わからないかな?
 「善悪二元論」,「勧善懲悪」,「ばいきんまんとアンパンマン」のほうが,わかりやすいもんな.

 わたしのように,「ちがう立場でものを考える人がいるから,学問が前進する」と考えるのは,幼稚なようで…(でも,書いておかなくっちゃ(-_-;).

 

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

偶然、このサイトにたどり着きました。
私も、”「地団研=悪の帝国.PT論者=虐げられた正義の人たち」,みたいな単純な図式が大手を振ってまかり通ってますが,そんな単純なものではない”と思います。

私も、個人的に、両者にお世話になりました。HK

ボレアロプーさん さんのコメント...

お目にとまりまして,光栄です.
時代はバイナリーな見方というのが主になっているようですけど,「いろんな方向から見ないと,真実はわからない」んだろうと思ってます.
あれも,これも….

匿名 さんのコメント...

NEW VIEWS ON AN OLD PLANET Continental drift and the history of earth 1985 この訳本が築地書館から出たのは1987年、大枚3600円も払って手に入れて後、「科学」を放棄してしまったのは正しかったのかと自問する毎日です。「世界」のあるがままの姿をつかみたいと思い、その方法に悩んだ挙句のことでした。細分化された分野での成果を総合化できる科学者を育てるには、今の日本の教育システムでは絶望的に思われてなりません。何ができるか、それが今の私の問題です。

ボレアロプーさん さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
ボレアロプーさん さんのコメント...

返事をすべきかどうかも考えましたが,なにもしないのもどうかと.

「科学」=「自然科学」の目的は,世界観の構築にあります.そもそもが,細分化してはならないものなんですが,現実にはそうなってます.
「科学」が「科学技術」化してしまったからです.

科学でダメなら,宗教に向かうしかないですね.現代仏教は死人商売と化してますが,もともとは,「世界観の構築」でした.密教なんか,興味深いです.